井手しのぶ さん
1961年生まれ。専業主婦から建築デザイナーに。’96年に「パパスホーム」を設立。2013年に代表を退き、現在「atelier23.」を主宰。
建築デザイナー・井手しのぶさんが犬1匹と猫2匹と暮らす自邸は、ここで7軒目。生活スタイルに合わせて家を作り、住み替えてきましたが、その変遷の末に建てたこの家は、井手さんいわく“終の住み処”とのこと。一人と動物がのんびり仲良く、快適に過ごすための家。その家づくりの方程式を紐解いていきます。
鎌倉の小高い丘の上に建つ井手さん宅は、驚くほどコンパクト。幅3mもの大きな窓があるリビングと、必要最低限の設備が整ったダイニングキッチン、そして寝室。間取りを説明すればこれだけというシンプルさ。それが、7軒目にして井手さんがたどり着いた理想の家のかたちです。
井手さんがこれまで建てた6軒の家もすべて鎌倉・湘南周辺にあります。
「事務所兼用でバリバリ働いていた頃は仕事用の大きな空間が必要だったり、カフェをやりたいと思ったり、海が見えるところに住みたいと思ったり。その時々のやりたいことに合わせて家を建てていたら、ついに7軒になってしまいました。この家は一人でぼちぼち仕事をしながら住む家なので小さくていい。そういう理由で平屋になりました」
土地はネットで見つけたとのこと。買ったときは何もない雑木林のようなところでしたが、木を切り倒して整地、広い庭も作りました。 庭が作れること、目の前の道路に車が入ってこられないこともこの場所を選んだ理由のひとつでした。
「うちには犬と猫がいますが、以前の家は目の前の道路を車がビュンビュン通っていたので、動物には危険だったんです。ここなら庭で思い切り遊べるし、ちょっと出てしまっても事故に遭わないので安心です」
この家を建てるときポイントとなったのは「低予算に抑えること」でした。
「老後の資金を残すことも考えて予算を組みました。コストを抑えたかったので、真四角で凹凸がないつくりにしたんです。凹凸があると壁の量も増えるし、大工さんの手間もかかる。こういう平らでつるんとした家が、最もコストがかからないんです」
家の一番大きな空間はキッチン・ダイニング・リビングがつながるメインの部屋。シンプルな箱型ですが、3mほども天井高があるキッチンからリビングに向かって屋根が斜めに下がっていくつくりになっており、奥行きが感じられます。
もうひとつ、井手さんが今回の家づくりの大きなテーマにしたのは「掃除のしやすさ」。
「リビングダイニングの床はモルタルです。動物が粗相をしてしまってもサッと拭くだけできれいになるし、埃も箒で外に掃き出すだけ。私はとにかく掃除が嫌いなので、いかに簡単に掃除ができるか、というのもテーマになっています」
「モルタルは素材としても好きなんです。ヒビが入るので普通はあまり住宅に使わないのですが私は気に入っていて、これまで設計した家にも施主の承諾の上、使ってきました。掃除がしやすく、あまり主張がないので何にでも合わせられるのがいいですね」
床のほか、外壁も井手さん好みのモルタルに。中の壁は珪藻土を自分で塗り、天井には杉材を使用。なるべく自然の素材を使うことで、鎌倉の自然に溶け込むような家が完成しました。
家のつくり自体はシンプルですが、ディテールには井手さんの好みが反映されています。例えば、モロッコで買ったという、玄関先や門扉の下に張った青いタイル。
「私の好きな青。青はこの家のアクセントカラーなんです。青い回転扉は大工さんに頼んで、門扉はアイアンの作家に、私がスケッチを描いてオリジナルで作ってもらいました」
コストカットの意図もありつつ、珪藻土の壁、キッチンやバスルームなど、できるところは自分でDIYをしたそうですが、そのディテールからも井手さんのこだわりが伝わってきます。
白と黒を組み合わせたバスルームのタイルは、キアヌ・リーブス主演の映画『コンスタンティン』に出てきたバスルームをイメージソースに張ったのだとか。洗面所との間には、インドで買い付けたアンティークの扉がつけられています。
リビングに隣り合うキッチンのシンクに貼られた大谷石も井手さんのDIY。無機質になりがちなキッチンも、自然素材が多いこの家のインテリアに馴染んでいます。
あえて窓を小さくした寝室は、明るいリビングとは対照的な落ち着いた雰囲気。懇意にしている大工さんに頼んだため、何も言わなくても井手さん好みのデザインに仕上がっているところもあり、アールのついたウォーク・イン・クローゼットの入り口もそのひとつだそうです。
電気のスイッチはフランスの蚤の市で購入したものを、電気技師に頼んで日本でも使えるよう改良。ディテールも妥協せずに自分の好みを取り入れています。
この家で愛用している家具のほとんどは、井手さんが世界中を旅して現地で買い付けてきたもの。仕事柄、インドやモロッコ、インドネシア、ヨーロッパなど海外に訪れることが多く、そのセンスが生かされています。前の家で持っていた家具は大きなものが多かったので、コンパクトな7軒目に合わせて小さめの家具に買い替えたのだそう。
「家具は古いものが多いです。アンティークもあるし、新品で買ったけれど長年使ううちにヴィンテージのようになったものもあります。国や年代は関係なく、ヨーロッパから日本のものまでさまざまです。昔は仕事で海外に行って家具を買ってはコンテナで輸送、倉庫に保管していました。大量生産品ではないので、いいと思ったらそこで買わないとなくなってしまうので大変なんです(笑)。好きなものを見つける判断は早い。質感や色の感じがピンとくるかどうかです」
居心地の良い家を作るために「動線はとても大事です」と、井手さん。「掃除がしやすい家」がテーマのこの家には、掃除以外の部分にもスムーズに暮らせる工夫が詰め込まれています。玄関から入ってすぐの土間に位置するキッチンダイニングは、住み始めた後に、使いやすい動線を求めてリノベーションをしました。
「最初はI型のシステムキッチンを取り付けていたのですが、大きすぎて使いづらかったんです。それで、コンロとシンクを独立させた形にしたら、すごく動きやすくなりました」
食べることが好きで料理も大好き。だからといって必ずしも大きなキッチンである必要はないようです。キッチンの奥には勝手口がありますが、これも井手さんにとっては必須なもの。
「料理をしたゴミは、勝手口を開けてそのままコンポストに捨てられます。勝手口を出たところに洗濯干し場もあり、洗濯機からすぐに持っていけるのも便利です。生活パターンによって動線は変わるので、これから家を建てるという方は、朝起きて夜寝るまで、自分がどう生活しているか見直すといいのではないでしょうか」
本や資料などを一つの場所にまとめているのも、自分の暮らし方を考えた結果。寝室の壁一面を作り付けの棚にして、真ん中に小さなデスクを設置しました。
ひんぱんに使わないものは洗面所の収納に。寝袋など必要だけど日常には使わないものを収納しているそう。「大工さんが、デッドスペースになるところに『とりあえずあれば何か入れられるよね』と、作ってくれました。これが意外に便利。ハシゴを上らないと取り出せませんが、目線より上にあるので邪魔にならず、作ってもらってよかったと思います」
「ご飯を食べるのが好きとか、テレビをよく観る、うちみたいに動物がいっぱいいる、掃除が嫌いなど、優先順位を決めるのも大切。すべての方が潤沢な予算があるわけではないので、ここを最も充実させたい、と絞ることも重要だと思います」
犬猫をかわいがり、畑作りなど庭いじりをしながら仕事をする毎日。井手さんが終の住み処としたのは、誰に気兼ねすることなく、好きなものだけに囲まれた一人に十分な広さの家。そこは、今の自分に本当に必要なものとは何か、というのを抽出した、暮らしの本質が表れた住まいでもあります。
掃除がしやすくてローコスト。そして、自分の暮らしに合った動線によってストレスを感じずに過ごすことができる。好きなものだけに囲まれた井手さんの家には、そんな学びがいっぱいに詰まっています。家づくりを考えることは、自分が求める本質的な暮らしを考えることと同義なのかもしれません。充足感に包まれた居心地のいい家は、自分の内面から生まれてくるようです。
1961年生まれ。専業主婦から建築デザイナーに。’96年に「パパスホーム」を設立。2013年に代表を退き、現在「atelier23.」を主宰。
Photography/上原未嗣 Text/ 三宅和歌子 Illustration/谷水佑凪(Roaster)