Dolive Doliveってなに?

DATE 2022.09.22

特急列車「あずさ号」がある家 × 民宿オーナー = 駅長な暮らし

「家は買わなくてもいいし、形だって、誰と住むのかだって自由」。暮らしのカタチが多様化している今、家の使い方自体を見直す人が増えてるみたい。そこであなたも、家との付き合い方、住み方、暮らし方を、もっと柔らかい頭で「シン解釈」してみるのはどうだろう? 誰かのユニークなライフスタイルをヒントに、あなたの「こんな暮らしもいいよね」を見つけてみませんか。

今回シン解釈するのは

夢に出てきた特急列車「あずさ号」を奇跡的に手に入れて、鉄道ファンの理想の民宿を営む鈴木さんの暮らし。

鉄道ファンじゃないのに電車と暮らす?
民宿「夢ハウスあずさ号」とは

長野県の上田駅から千曲川(ちくまがわ)沿いを車で約2km。山に囲まれたのどかな場所に、全国から鉄道ファンが集まる民宿があります。民宿「夢ハウスあずさ号」。なんと、JR東日本が現在も新宿〜松本間で運行している本物の特急列車「あずさ号」が建物の中にあり、車内放送を流したり、警笛を鳴らすことができるという民宿です。

民宿の入り口の大きな窓から早速「あずさ号」が見えます

駅長(民宿オーナー)は鈴木浩さん。鉄道好きの夢の家を建てた鈴木さん本人は、まさかの鉄道ファンではないそうで、「あずさ号の夢を見たこと」をきっかけにどうしてもあずさ号を手に入れたくなり、JRの支社まで直談判に行ったすごい人。

民宿も元々する予定ではなかったそうですが、あずさ号を見に自然と集まってきた鉄道ファンたちを見て、「みんなに夢を与える場所に」と始めることにしたのだそう。

民宿の中のあずさ号。自動ドアも動き、車内アナウンスも流れる”生きた”車両

あずさ号の車内。ここで寝泊まりができます

「あずさ号を手に入れて数年後、当時JRの整備士をしていた18歳の子が訪ねてきて、仕事終わりに朝まであずさ号を整備してくれたんです。3年くらいかけて、ドアの開閉や警笛、車内放送をできるようにしてくれて、あずさ号を生きた車両にしてくれました。これがきっかけで、民宿を始めようと思ったんですよね。鉄道好きの夢じゃないですか? 生きた車両に泊まれるなんて」

運転席で車内放送をする鈴木駅長

「本物の信号機や踏切を持ってきて動くようにしてくれたり、前幕(車両正面のプレート)が上がるように整備してくれたのは、東急電鉄の運転手さん。知り合いではなかったのに突然来てくれて、1人で機械を持ってきて調整してくれたんです」

整備してもらい現役で動くようになった前幕

「遊びに来た人がみんな自分たちのコレクションを飾ってくれる。僕が自分で手に入れたのは電車だけで、この家にあるものはすべてお客さんが持ってきてくれたものなんですよね。不思議と、次から次へとまわりの人が助けてくれました」

踏切も信号もレプリカではなく本物

退職したJRの運転手さんが譲ってくれた制服や帽子。年代や役職によってデザインが異なるそう

もちろん、今もお客さんの多くは鉄道ファン。「みんな、朝食の後にあずさ号の横に立って『信号もよし。レピーター(線路内にある信号機)点灯もよし。ドアが閉まります』と言って、敬礼してビデオとか撮るんです。その後はテーブルのところで蕎麦打ち体験をして、お昼に蕎麦を食べて帰っていきます」

「信号もよし。レピーター点灯もよし。ドアが閉まります」

「あずさ号」の駅長(民宿オーナー)としての鈴木さんの日課は、毎朝2時に起きてSNSで日々の出来事を綴った後、「駅長事務室」という看板を掲げたキッチンで7時にお客さんのための朝食を作ること。「ごはんは僕も作るし、女房も作りますよ。十割そば作り教室や靴作り体験もしています」

あずさ号の横に並ぶ食堂スペース。枕木で土台を作ったテーブル(真ん中)で食べるごはんは格別

この民宿を始めるきっかけとなったあずさ号を、鈴木さんはどうやって手に入れたのか。それは、一度聞いただけでは信じられないような夢と奇跡のストーリーでした。

民宿の前にある立派な日本庭園にて

鈴木さんが「あずさ号」を手に入れたウソみたいなホントの話

はじまりは1994年、鈴木さんが45歳の時。20年間勤めていた会社を突然辞めることになった鈴木さんは手に職をつけようと、靴作りを学びました。2年後の3月、靴作り教室を開く決心をしたそうですが、実はその年の1月に不思議な初夢を見ていたそうです。

「電車が特別好きなわけでもなかったのに、あずさ号に乗って旅をする夢を見たんです。ある駅に着いたら、世界中の人が50〜60人くらいで歌を歌っていて、警笛が鳴って電車が出ていく、そんな風な夢でした。不思議な夢だな〜と思いながらも、頭からその夢が離れなかったんです」

靴作りの開業をしたものの先行きが不安だった鈴木さんは次第に夢で見たあずさ号のことで頭がいっぱいに......。なんと、3月の末にはついにJRの長野支社まで「あずさ号をください」と言いに行くことにしたそうです。

厄介払いされながらJR支社に通い続けて7日間。ついに、鈴木さんは当時の車両課長に会うことができます。

「『鈴木さんは上田市に住んでいるから、上田市の市長が保証人になってくれるというなら、JRとしても考えますよ』と言われたんです。期限は1週間。ものすごい可能性をもらったと思ったんだけど、市長が個人の保証人になんてなるわけがないと思ったんです」

それでも諦めなかった鈴木さんは、翌日、その年の4月に就任したばかりだった上田市の市長に会いに行きましたが、秘書から門前払いされてしまったそう。ところが、思わぬところからチャンスが巡ってきました。

市役所に行った翌日、靴作りを開業してから初めてのお客さんに靴を渡しに行きました。「その方にすごく感謝されて、一緒に食事をすることになったんです。そこで、あずさ号の話をしたら、なんとその方が昨日会いに行った新市長の同級生だったんです。それで『俺が市長に連絡とってやるよ』と。こんな奇跡があるのか!と思いました」。

次の日には「この人の夢叶えてあげてください。私が保証人になります」と書かれた市長の名刺を手に入れることができた鈴木さん。「JRの課長との約束の日まで、あと2日というタイミングでした」

市長に保証人になってもらい、あずさ号をもらえることになった鈴木さんはあずさ号を迎える準備を始めました。

まずは更地を購入し、近くの駅を30駅ほど回って枕木をもらい、夫婦で穴を掘りながら線路を作ったのだそう。3か月ほどで線路を完成させ、鈴木さんはあずさ号を待ちました。あずさ号を保管するための建物(現在の民宿)は、鈴木さんの父と、大工さんの3人で作りはじめ、全部完成するのに20年かかったといいます。あずさ号が鈴木さんの家にやって来たのは1996年12月15日の朝でした。

「15〜20kmくらいの距離を4時間くらいかけて運びました。朝の6時頃に到着して、家の線路に乗ったのはちょうど8時頃。友達が『あずさ2号』の歌(1977年に大ヒットした兄弟デュオ狩人の楽曲)を流してくれて、来た人みんなで半日くらい飲めや歌えやで盛り上がったんですよね」

その日から鈴木さんとあずさ号の暮らしが始まりました。

「人生を変えたいときは躊躇なく行動するのが大事だと、あずさ号が教えてくれた」

最初は鈴木さんひとりの夢でしたが、それを純粋に追いかけ続けるうちに自然と他の人の夢もかき集め、一緒に走っていた「夢ハウスあずさ号」。あずさ号を巡って起きた奇跡的な出来事が、人生を変え、今の暮らしを作ったきっかけだったと鈴木さんは言います。

「あずさ号のおかげで人生が良い方向に行っている気がするよ。人って人生を変えたくてもなかなか踏ん切りがつかないでしょう。でもどうしようもないことが起こったときは、躊躇なく変えなきゃだめだと、あずさ号のおかげで思えるようになったんだよね」

屋上からは遠くに北陸新幹線も見える民宿で、今日も鈴木さんは鉄道ファンや子どもたちのために駅長をしています。「夕方の18時にはもう眠くなっちゃうから、一杯飲んで寝てから2時に起きる。お客さんがいるときは21時に消灯なので、僕は18時に一度寝たらアラームをかけて一度起きてから消灯するんです。朝、お客さんが朝食を食べているときに、布団を片付けるのも僕の役目です」

今までいろんな人に助けてもらってここまできたから、「これから何か人のためになるような技術をマスターしたいですね。人に喜んでもらえることほど面白いことはないと思うから」と鈴木さんは言います。「こうしたい」と思ったら、人になんと言われようと愚直にやってみる。それが今もこれからも、鈴木さんのライフスタイルを形づくるシン解釈のよう。民宿「夢ハウスあずさ号」の駅長はこれからもあずさ号と一緒に、新しい夢に向かって走り続けるはずです。

Photography/安川結子 Interview/大倉詩穂(Roaster) Text/赤木百(Roaster)  Illustration/蔵元あかり(Roaster)